「闇金ドッグス8」感想と考察
ご無沙汰気味な「闇金ドッグス」の感想と考察。
実は「闇金ドッグス3」と「闇金ドッグス4」の記事が、下書き段階ではありますがあったりします。
本当は順番に記事を仕上げて載せていくつもりだったのですが、今回は「闇金ドッグス8」の記事を先に挙げることとします。
「闇金ドッグス8」の公開に至るまでの件に関して、個人的にいろいろと吐露したい気持ちはあるのですが、ひとまずは作品の感想と考察から。
ネタバレありますので、ご注意ください。
【あらすじ】
闇金を題材に欲望うずまく裏社会に生きる人間たちを描いた山田裕貴主演の「闇金ドッグス」シリーズ第8作。若くしてヤクザの親分になり、稼業引退後に闇金の世界へ足を踏み入れたラストファイナンスの社長・安藤忠臣は、元イケメンホストの須藤司とともに一癖ある債務者たちを追い込む毎日を送っていた。常連客の湯澤賢一は受給された生活保護費のほとんどをパチンコなどで散財し、困ればラストファイナンスで借金を繰り返していた。一方、シルバー人材派遣会社の役員としてまじめに働いている賢一の息子・章太郎は仕事のトラブルからのストレスで脳卒中を患い、こん睡状態となってしまう。労災保健が給付されることを知った賢一たちは、大喜びで派手な生活を続けていた。そんな湯澤家の人びとから借金を回収するため、忠臣がある策をめぐらせる。
前回の「闇金ドッグス7」では忠臣の相棒である司が、ある一件から闇金稼業に嫌気が指し、忠臣から一旦は離れたものの、最後には戻ってきたところで終わりましたね。
紆余曲折ありながらも、司は司で折り合いをつけて、忠臣の元へ戻る決断をしたのだろうと思います。
闇金ドッグス4~7までは、どちらかというと忠臣の過去や、司の闇金稼業への向き合い方などを重点的に取り上げたストーリーでしたが、前回の7をひとつの区切りとして、今回の闇金ドッグス8は、闇ド無印を彷彿させるような、“これぞ闇金ドッグス”と言わんばかりのストーリーになっています。
何といっても映画のキャッチコピーが「一家全員、下衆。」ですからね。
これまでのシリーズに出てきた債権者たちも、一癖も二癖もある人間ばかりでしたが、今回の債権者たちは歴代トップだろう下衆さです。キャッチコピーに二言はない。
今回出てくる債権者は「家族」。シリーズ初の家族全員債権者パターンですね。
生活保護に味をしめ、国の制度を利用するだけ利用している湯澤一家。働きもせず、1人月10万で、家族3人分月30万の生活保護を受け取っています。
父である健一は連日パチンコ通いで、妻娘も家でぐうたら生活を送る日々。生活保護でありながら、振込当日の夕食にはすき焼きという贅沢っぷり。
それでもある分だけ使ってしまうのか、お金が足りずに忠臣のラストファイナンスで借金を重ねているという実態。
懲りずにお金を貸してくれという健一に「お前の生活を思って、俺は貸さないでいてやってるんだぜ」という忠臣さん。
しかし、健一は「資本主義において、俺は使われる側から使う側になったんです」「税金払ってないなら、安藤さんからは搾取しておりません」「だからお金を貸してくださいよ」なんて、悪びれもせず講釈を並べ立てます。
そんな健一の様子に司は終始呆れ気味。しかし忠臣はそんな健一に追い貸しをします。
「よくあんなのに追い貸ししますね。絶対パンクしますよ」と司は言いますが、忠臣はただ含みを持たせた笑みを浮かべるだけです。
この会話上で、健一が述べた「アリとキリギリス」の話。今回の物語の上でひとつの重要なキーワードのような気がします。その後も何度か出てくるんですよね、このワード。
「アリとキリギリス」は“先のことを見据えて今を一生懸命に働くアリ”と、“先のことを考えずに今ある楽しさを選ぶキリギリス”の対比から、教訓を示す童話です。(結末は諸説あるようですが)
忠臣との会話で、自らを「キリギリス」と表現した健一。生活保護を受けていることを、「私はいっつまでも、キリギリスとして生きることができるんでーす!」なんて物言いで表現する。
つまり健一は、本当は働けるにも関わらず、一生生活保護受給者として楽して生きるキリギリスであり続けると、平然と言ってのける人間なんですよね。そしてこの健一の妻である佳代子も、娘である美穂も同様の考え方。
しかし、この家族に囲まれながらも、唯一「アリ」として懸命に生きる人物がいました。健一の実の息子である章太郎です。
章太郎は、大学卒業後に大学時代の先輩と共に派遣会社を立ち上げ、営業としての仕事をばりばりにこなす湯澤家唯一の常識人。
きっと働きもせずに生活保護を貰い続ける親に嫌気がさして、自分はこうはならないと必死に勉強して、今の職に就いたのだろうと思いますが、とはいえ完全に健一たちと縁は切っていない様子。
仕事終わりに派遣社員から貰ったピザを健一たちの家に届けに行き、偶然鉢合わせた忠臣に、父親に代わってお金を払うし、「働こうよ」と諦めずに家族を諭すし、帰り際またお金を渡すし……反面教師というやつかな。なぜこの父親からこんないい息子が……と頭抱えるレベルでいい子です。忠臣さんも「親孝行な息子だな」って言っちゃってるしね。
けれど、そんないい息子に対して家族は逆に「親不孝な子だね」と平気で罵る。働いてしまっては、生活保護を打ち切られるじゃないかと。章太郎の必死の説得も、全く意に介しません。
親にお金を集られながらも、家族として過ごした思い出を忘れられず、いつかあの頃みたいに、と縁を切れない章太郎。しかしそんな彼に不幸が舞い込みます。
派遣した社員が職場で問題を起こし、500万もの損害賠償請求を被ることに。損害賠償保険も書類の不手際でかけれておらず、立ち上げたばかりの3人しかいない会社では易々と準備できる金額ではあるはずもなく。
何とか3人である分を出し合い、章太郎も夜を徹して金策に駆けずり回りますが、なかなか500万には到達しません。
藁にもすがる勢いの章太郎は、遂に忠臣の元を訪ねます。
土下座までして、お金を貸してくださいと懇願する章太郎ですが、忠臣は「貸せない」と一蹴します。
司は思わず「いいじゃないですか。あの親父よりよっぽど頑張ってるじゃないですか!」と援護しますが、忠臣は聞く耳を持ちません。
「クズみたいなキリギリスには貸せるが、保障のないアリには貸せない」
闇金という絵本の世界ではそれが道理。
アリとキリギリスの例えがここでも使われていましたね。この台詞に例えの秀逸さを強く感じました。子供に絵本を通じて教えを説く童話。その物語が、本来交わることのないはずの闇金の世界で例えに使われることで、矛盾と皮肉がうまく表現されているなあ、と。
話を戻しまして。
忠臣に断られてしまった章太郎は憔悴しきった様子で職場に戻りますが、先輩ふたりが更に足りない分のお金を工面していました。しかし、安心したのもつかの間、連日の強いストレスが影響してか脳卒中で倒れてしまいます。
(この脳卒中で倒れるシーン。緊迫感が凄かった。タモトさんの演技が光っていました)
結果、寝たきりの植物人間のような状態になってしまった章太郎。
親のようになるまいと懸命に働いていたのに、結果動けずに実家に戻る羽目になってまうなんて、何て悲惨なんだ……。
この章太郎の件がきっかけとなり、湯澤家の下衆っぷりが一層際立つようになります。
動けない章太郎がいることで手に入ったお見舞金や労災保険金、傷害年金。一気に受給額が増えたことで、湯澤家のお金への欲は更に高まっていくばかり。
パチンコに、海外旅行に、占いに、ネイルに……。湯水のようにお金を使い果たしていきます。
更なるお金を求めて、忠臣の元を訪れた健一たちに、次々と追い貸しをしていく忠臣。
「誰か借りるか」と投げた一万に群がる家族の姿に、忠臣は思わず笑いを零します。
このシーンは、山田さんがインタビューでも語っていましたね。非常に印象的なシーンです。
人の欲は計り知れない。どんどん膨らんだ湯澤家の借金を返させるため、人を紹介するという忠臣。
「国の制度を使えばいいだろ。そうすりゃもっと、金入ってくるぜ」
これまで散々国の制度を利用してきた湯澤家に言い放ちます。その視線の先には、世話もされず、ただ受給のためだけに生かされる章太郎の姿が。
忠臣の言わんとすることを察した健一たちは、一気に表情を曇らせます。
何て顔してんだよ、と笑う忠臣。
「故意にってこと……?」「事故だよ、事故」
このシーンの忠臣さん、闇ド無印の良夫に諭すシーンを彷彿とさせましたね。
忠臣が闇金稼業を始めて、それまで何でも暴力でねじ伏せてきた忠臣が言葉で促した、初めての取り立てでした。
微笑みながら諭すように「ヒーローにならなきゃ」と言ったあのシーンは、今思い出しても鳥肌もののシーンです。
そうして忠臣の助言をもとに、形振り構わずお金を手に入れようと、お互いに足を引っ張りあう健一たち。
障害年金を手に入れるために、両親そろって娘に手をかけると思いきや、妻の佳代子は健一を騙し、事故を装って怪我をさせ、保険で大金を手に入れたのでした。
その事故の一旦を担ったのもまた、忠臣の債権者である佐竹。忠臣が佳代子に紹介したのは、この佐竹だったわけですね。
こうして、佐竹と佳代子を協力させ、それぞれの借金を返済させた忠臣。
直接指示したわけではないにしろ、佐竹を紹介した時点でこうなること(故意に事故を起こして、金を返させる)は見越していたはず。また同じことやりますよ、と危惧する司に対し、忠臣は「今後は貸さない。これ以上首つっこんだら手錠になる」と諫めます。
闇金稼業において引き際は重要。
欲が嵩み、リミッターがおかしくなってしまっている佳代子と美穂。その家には死んだように生かされ続ける、健一と章太郎。
この家族の行く末は、忠臣の言うようにこれ以上はどう転んでも地獄なのだろう。それを象徴するかのようなラストカットでした。
「一家全員、下衆。」
冒頭も言いましたが、本当にこのキャッチコピー通りの家族でした。一貫して下衆でした。救いも何もあったものではない。
闇金ドッグスの世界における「アリとキリギリス」は、どちらの生き方が良いと示されることは恐らくないのだろうと思います。そもそもの題材が「闇金」ですからね。その時点で世界が違う。
アリが最後には報われるわけでも、キリギリスが後になって「懸命に働いていればよかった」と後悔することもない。
真面目に働くアリも救われず、今は笑っているキリギリスも向かう先は地獄一択。
これぞまさしく闇金ドッグス。そうつくづく思わせてくれた作品でした。
物語を通して印象深かったのが、忠臣さんの笑うシーンが多かったこと。
シリーズ通してみると、忠臣さんが笑うシーンって本当に数少ないんですよね。債権者の前で、含みを持たせるように口角を上げることくらいはあったけれど、今回のように歯を見せるような笑い方って、それこそ闇金ドッグス4の豊田さんの前で笑った時以来じゃないかな。
ただ、司のビビりように笑った冒頭のシーン以外は、債権者のあまりの滑稽さに零れ出た笑いだったんですよね。
山田さんもインタビューで述べられていましたが、以前は割とどんな客にも割とフェアな態度だったように思うんですが、今回は確かに“搾取する側”としての振る舞いも垣間見えた。
今回の物語では「アリとキリギリス」「資本主義」「支配する側・される側」といったキーワードが特に印象的に使われていたように思うんですが、ふと思ったのが、忠臣さんの立ち位置ってどこなんだろうと。
闇金業者として裏の世界で生きる忠臣さんは、アリでもキリギリスでもない。資本主義における搾取する側であるのか、される側なのか。それでもない気がする。
非常に曖昧な、グレーな世界で忠臣さんは生きているんですよね。それは闇金を始める前から、ヤクザとして生きていた頃からだと思うんですけど。
忠臣さんは、登場人物の誰よりも自分に無関心であるように思う。ヤクザの組長であっても、闇金稼業の社長であっても、自分が社会における底辺、グレーの世界で生きていることを知っている。
ガチジェネの斗氣雄や司が葛藤した「何のためにヤクザなのか」「何のために闇金の世界で生きるのか」という問いに、忠臣さんはそれこそ10代から向き合っていた。むしろその世界でしか生きてこなかったからこそ、ある意味公平な立場でいられた気がするんですよね。
だからこそ、今回忠臣さんが見せた振る舞い(債権者に対して見下すような笑い)は、確かに忠臣さんが今後向き合うべき「闇」となりうるのかもしれない。
そんなことを考察して、つくづく安藤忠臣は生きてるんだなあ、と実感しました。
シリーズ8作目。忠臣さんが闇金稼業を始めてから、もう何年になるんだろうか。司が「忠臣さんほんっと物知りっすよね」と感心するほどの知識量になるまでに、何人もの債権者との修羅場を乗り越えてきたんだろう。
このシリーズは本当に時間の経過を随所に感じさせてくれる。
闇金ドッグスは主演含め、いつも本当に魅力的な演技をされる役者の方ばかりで。
脚本も、演出も、演者が見せる表現も。全てが交わって、この闇金ドッグスの世界を生み出し、更にこの世界に生々しさを与えているんだと。
今回、「闇金ドッグス8」の公開に至るまでに、いろいろありました。
いろいろありましたが、一週間の限定での劇場公開に加え、何とかレンタルという形でこの作品を観られたこと、一ファンとして心から嬉しく思います。
この先のことは何も分かりません。まだ、この件に関して自分の中でも消化しきれていないことがたくさんあります。そのため、毎週のように観ていたこのシリーズからも、しばらく距離を置いてきました。
けれど、DVDレンタルが開始になることを知り、分からないからこそ、まずは観てみようと思いました。
観終わって、この作品への思いがたくさん溢れました。その思いを言語化するのに、とても時間がかかりました。正直、まだまだ書ききれないことがたくさんあります。
でも一番に思ったのは、私はやっぱり、この「闇金ドッグス」という作品が大好きなのだなあ、と。
願わくばこれからも、この世界を、安藤忠臣の今後を観ていきたい。
一ファンが思いを述べたところで、とは思いましたが、今回作品を観て、一ファンだからこそ、一ファンとしての思いを残しておきたいと強く感じました。
一般人である私には知り得ないたくさんの壁もきっとあるのだろう。
ただそれでも、このシリーズが愛されてきたからこそ、たくさんの方々の尽力があったからこそ、ここまで続いてきた作品なのだと思う。
そのたくさんの方の愛と思いが、まだ知らぬたくさんの方々に届きますように。
このシリーズの一人のファンとして、これからも応援しています。